スペイン
1971年に国内に駐留していたアメリカ空軍の中古のF-4Cを譲り受ける形で導入した。当時、アメリカ空軍の第一線を退き始めていたとはいっても、高級機でもあったF-4Cの供与が決定したのは、スペイン国内の基地提供の見返りという思惑が絡んでいた。当時のスペイン空軍はF-104を保有してはいたが18機と少なく、数の上でも主力機は旧式機のF-86だった。
ベトナム戦争にも参加した36機のF-4Cの引き渡しはスペイン国内のトレホンアメリカ空軍基地に駐留していた機体を同基地で編成されたスペインの飛行隊に横滑りで移管されるという簡単な形と手続きで行われた。その後1978年に同じエンジンを使用するRF-4Cを追加導入した。F-4Cは1989年にF/A-18と入れ替わる形で退役した。RF-4Cは近代化改修を施し運用されている。
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イギリス
F-4M (1980年)当時のイギリスの国防政策による予算削減のため国産の次期主力機の候補だったホーカー・シドレー P.1154やBAC TSR-2をキャンセルし、1962年2月に空母に搭載する次期戦闘機にF-4を選定した。
当初は正式にどのタイプを導入するかは決定していなかったが、選定から3ヶ月後にF-4Bの改良型であるF-4Jの開発が開始されたことを受け、J型をイギリス向けに改修 (エンジンをイギリス・ロールス・ロイス社製の物に換装) した「F-4K」を導入することとなった。F-4Jをそのまま導入しなかったのは大英帝国のある種のメンツがそれを許さなかったからと言われている[18]。また、コストベースで50%の部品をイギリス製とすることで沈滞していたイギリスの航空機産業への梃子入れを図ろうともした。
機体
イギリスは現在までに、3種類のF-4を運用している。 エンジン以外にも原型に比べて変更点が多く、非公式に『ブリティッシュ・ファントム』と呼ばれることもある。1992年のF-4Mの引退により全機が正式に退役となった。
F-4K (ファントム FG.1)
F-4K (1968年)F-4Jをイギリス海軍向けに改修した型。「F-4K」とはマクドネル社内での呼び名でイギリス海軍では「ファントム FG.1」と呼んだ。エンジンをロールス・ロイスRB-168-25RスペイMk.202 (後にMk.203) ターボファンエンジンに変更し、それに伴いインテークを横方向へ15センチ大型化、レーダーをAN/AWG-11に変更した。発艦を容易にするために前脚が原型のF-4Bより40インチも伸ばせるようになり迎え角が大きくしている。米空母に比べて小型の英空母のエレベーターのサイズに合わせるために機首のレドームを折り畳み式にしている。エンジン換装により加速性能と航続距離は向上したが高空での速度は少し遅くなった。この種の超音速機では最高速度性能は大した意味がなく、概ね性能向上したとみてよいと思われる。ただし、スペイ・エンジンは原型のJ79より重く、テイル・ヘビーの傾向があったため、スパロー・ミサイルなどを装備しない場合でも、機体前部の兵装ステーション (No.4/6) に死重を搭載する必要があった。
一方、空母の廃止により生産数を削減されたことでイギリス製部品のシェアも40%強にとどまり当初計画されていた50%は達成できなかった。新規部品の開発コストもかさんだため『世界で最も高価なファントム』になってしまったと言われている。
F-4Kは1966年に初飛行し1968年4月に初号機が引き渡された。当初の計画では140機を導入する予定だったが当時の労働党政権は1966年に空母戦力の大幅削減 (最終的に通常空母は全廃) を決定。F-4Kの搭載工事もアーク・ロイヤル1隻のみに施されることになった。F-4Kの調達数も削減された結果、1969年の最終号機引き渡しまでに52機 (試作機2機を含む) の生産にとどまった。
アーク・ロイヤルの改装中 (1967年3月?1970年2月) に空母イーグルで行われたF-4Kのテストの結果はアーク・ロイヤルの改装にフィードバックされた。1972年のイーグルの退役によりF-4が搭載される空母はアーク・ロイヤルのみとなり、飛行隊も二個から一個へと削減され、52機のF-4K中28機が空軍へと移管された (19機は当初から空軍に配備された) 。1979年12月のアーク・ロイヤル退役後のイギリス海軍ではスキージャンプ装備の軽空母とBAe シーハリアーの組み合わせだけとなり、全機が空軍に移管された。
移管後、F-4Kは防空戦闘機として北海上空の防衛の任に就いた。
F-4M (ファントム FGR.2)
F-4M (2007年)海軍と同様にイギリス空軍向けに改修した型。「F-4M」はマクドネル社、「ファントム FGR.2」がイギリス空軍での呼び名である。多くの部分がF-4Kに準じているが、エンジンをロールス・ロイスRB-168-25RスペイMk.202 (後にMk.204) 、レーダーをAN/AWG-12に変更されている。
F-4Kと比べて戦術 (対地) 攻撃能力が強化され偵察ポッドの運用能力も追加されている[19]。またSUU-23/Aガンポッド用の配線も当初から用意されている[20]。他にも、電源車など地上設備がなくとも、内蔵バッテリーでエンジンスタートできるなど、他のF-4にはないユニークな特徴もあった。
F-4Mは合計118機が発注され、五個飛行隊が編成された。その内の四個飛行隊が西ドイツ駐留NATO軍部隊の任に就いた。
F-4J (UK)
フォークランド紛争後の1984年に、第23飛行隊がフォークランド諸島に派遣されたことで生じた防空網の穴埋めのために、アメリカ海軍で余剰となったF-4Jの中古機を導入した。アメリカ海軍が保有していたF-4Jから改修は最小限で、『女王陛下のF-4』としてはもっとも改修点が少ない。
性能面ではF-4K/Mと遜色なかったがスペイを搭載したF-4に慣れ親しんだ整備兵達からは不評で結局F-4Mより一足先に1991年退役している (F-4Mの退役は1992年) 。
ドイツ (旧西ドイツ)
ドイツ空軍のF-4F
旧西ドイツ時代のRF-4E (1984年)1968年にRF-104の後継戦術偵察機として、RF-4CをF-4E規格に合わせたRF-4Eを88機発注した。RF-4Eは1971年に大西洋を横断し西ドイツに到着後、2個航空団の編成を開始した。同時期にF-104の後継機としてF-4Fを選定し、175機を発注した。最終的に西ドイツが保有したF-4はRF-4E、F-4E、F-4F合わせて273機にも達した。冷戦終結と東ドイツとの統一に伴う軍縮でRF-4E が全機退役し、代わりに保有数は減少するが稼働率の向上を見込みトーネードIDS/ECRを導入した。この時退役したRF-4Eは後にトルコとギリシャに引き渡されている。
F-4F
F-4Eを西ドイツ空軍 (当時) の要求に合わせ改修。F-104Gの後継機 (戦術攻撃機) として導入した為に主翼が可動式スラット、スタビレーターが在来型の組み合わせとなり、スパローの運用能力の割愛といった改修が加えられている。
F-4F ICE
F-4Fに、西ドイツ空軍 (当時) の要求に合わせた「ICE (Improved Combat Efficiency,戦闘効率改善) 」と称する改修プランを施した能力向上型。レーダーを従来のAPQ-120からF/A-18で使用されていたAPG-65に変更してAIM-120の運用能力を付与した。1983年より研究が開始され1992年より配備が開始された。
配備基地
90機程度のF-4F ICEを保有し、2個航空団で運用されている。
ウィットムンド基地 : 第71戦闘航空団 - 第711戦闘飛行隊 - 第712戦闘飛行隊
ノイブルク基地 : 第72戦闘航空団 - 第741戦闘飛行隊 - 第742戦闘飛行隊
オーストラリア
キャンベラの後継機として導入したF-111Cに設計上のトラブルが発生し戦力化に遅れが生じた。オーストラリア空軍はこの穴埋めとしてアメリカ空軍から24機のF-4Eをリースすることを決定し1970年から1973年までの3年間運用した。この時、1機が事故で失われている。
ギリシャ
ギリシャ空軍のF-4
デンマークSkrydstrup空軍基地にて (2006年)1974年3月よりアメリカからF-4Eの引き渡しを受ける。この引き渡し計画は「ピース・イカロス」と呼ばれた。まず36機のF-4Eを受領し、1976年6月には消耗分の2機が追加で引き渡されている。 引き渡しはその後も継続され、1978年6月から1979年4月にかけてF-4E 18機とRF-4E 8機が引き渡された。これに加え、1978年8月から12月までの期間に数機のF-4Eを追加受領する。 同年にはF-4EとRF-4Eの追加発注が行われ、同時に西ドイツ空軍で余剰となった29機のRF-4Eを取得する。
1987年にはアメリカ空軍がギリシャ国内の空軍基地使用期限を8年延長する見返りとして、アメリカ空軍のF-4E 50機とF-4G 19機を引き渡す提案が示されたが、結局28機のF-4E受領に留まる。
現在は老朽化したF-4Eの退役に伴い、F-16の配備が進んでいる。その一方で、39機のF-4Eには能力向上を目指して改良が施された。この改良はドイツ空軍のF-4改修計画「ICE (Improved Combat Efficiency:戦闘効率改善) 」を行ったESDA社が担当し全機が「F-4F ICE」と同様の改修を受け「F-4E PI2000」となった。
2007年現在、ギリシャ空軍はF-4 PI2000 (F-4E AUP)を36機、RF-4Eを23機保有しており、これに加えて10機程度が補充用に保管されている。
F-4E PI2000
ギリシャ空軍がEADSに開発を依頼し自国で改修した、ギリシャ版F-4ICEと言える機体。「F-4E AUP」との名称でも呼ばれる。計画は「ピース・イカロス2000」と呼ばれる。AIM-120に加えAGM-130やレーザー誘導爆弾の運用の運用能力の追加等、大規模な改修が行われている。
余談だがギリシャとトルコは仲が悪いのが有名 (ここ最近まで、紛争が続いていた) な上に、ギリシャのファントムはドイツの技術で改修し、トルコのF-4Eはナチスドイツ時代に迫害されていたユダヤ人の国家であるイスラエルの技術で改修するという二重の皮肉な結果となっている。
配備基地
ラリッサ基地 : 第110戦闘航空団 - 第110戦闘航空団転換訓練飛行班 (F-4E AUP) -第348戦術偵察飛行隊 (RF-4E)
アンドラビダ基地 : 第117戦闘航空団第338爆撃追撃飛行隊 (F-4E AUP) - 第339全天候戦闘飛行隊 (F-4E AUP) - 第117戦闘航空団転換訓練飛行班 (F-4E AUP)
サントリニ基地 : 第134戦闘航空群 - 第117戦闘航空団分遣隊 (F-4E AUP)
大韓民国
1968年にF-4D 18機の発注が行われ、1969年8月にアメリカ空軍の中古機4機を受領する。以降、順次引き渡しが行われた。その後韓国側はF-4D 18機の追加供与を希望し、アメリカ政府はこれを了承。1972年に南ベトナムにF-5A/Bを譲渡する見返りに、国内に駐留するアメリカ空軍部隊の機材を譲渡される形でF-4Dの引き渡しが行われた。引渡し対象となったのは、韓国国内に駐留していたアメリカ空軍第3戦術戦闘航空団所属機である。その後もアメリカ空軍の保有していたF-4Dの引き渡しが行われ、1988年4月までに92機のF-4Dを取得した。
1978年には「ピース・ピーザントII」の計画名で、アメリカ空軍で余剰となったF-4Eを総計103機 (新造機は37機) 導入する。1990年には第460戦術偵察航空群の閉隊を受けて、同隊が保有していた12機のRF-4Cを取得。以後、アメリカ空軍で退役したRF-4Cの引き渡しを受けている。
最終的にF-4D、F-4E、RF-4C合計で203機のF-4を購入した。
韓国空軍では、100機前後のF-4をF-4 ICE相当へ近代化改修する計画を立案したが、韓国戦闘機計画 (KFP) でF-16C/Dのライセンス生産する事が決定し、合わせて当時の経済事情などから1993年に計画は放棄された。
現在では140機程度が実戦配備されており、大邱基地所属の第11戦闘飛行団に F-4D 2個大隊、清州基地所属の第17戦闘飛行団に F-4E 3個大隊、水原基地所属の第10戦闘飛行団にRF-4C 1個大隊が編成されている。大邱基地に配備されているF-4DはF-15Kで更新されているが、F-4EとRF-4Cについては今後も運用していく予定で一部の機体には寿命延長処置が施された。
通算5000機目 (5057号機) に製造されたF-4は韓国が発注したものだった。同機は記念塗装が施され完成セレモニーに参加した。その後、通常迷彩に戻され1978年5月24日に引き渡しが行われた。
日本
自衛隊F-4EJ改 2005年5月撮影
百里基地所属のRF-4 2007年9月撮影1966年 (昭和41年) に第2次F-XによりF-104Jの後継機種として選定され、F-4Eを日本向けに改修したF-4EJを140機導入した。最初の10機を輸入・ノックダウン生産、残りの130機を三菱重工業でライセンス生産で調達した。また1974年 (昭和49年) よりRF-4Eを14機輸入しており日本が保有したF-4の総数は154機となる。F-4のライセンス生産 (自国生産) が認められたのは日本のみとなっている。
F-15Jが導入されるまで主力戦闘機として防空任務を担当した。期間中、元々が艦載機であるF-4に要撃任務は不向きである、無駄に脚が頑丈で重量があるといった批判や、1976年 (昭和51年) のベレンコ中尉亡命事件で低空目標の探知能力 (ルックダウン能力) 不足が明らかになるなど、課題も抱えた。
F-104Jが実戦部隊から退いた1986年 (昭和61年) からは数の上でもF-15Jが主力戦闘機となり、1989年 (平成元年) より延命・能力向上目的の改修を受けた90機が「F-4EJ改」となり防空任務に就いた。また、RF-4E偵察機2機の事故減に対して、1990年 (平成2年) より15機の近代化改修対象外の初期型F-4EJを偵察型「RF-4EJ」に改修した。三沢基地の第3航空団第8飛行隊はF-2支援戦闘機の配備遅延のために1997年 (平成9年) から繋ぎとしてF-1支援戦闘機の代わりにF-4EJ改を支援戦闘機として運用している。
F-4は老朽化を受けたF-15Jへの更新や部隊の改編により徐々にその数を減らしている。現在、日本でF-4を実戦部隊で運用しているのは青森県三沢基地第3航空団の第8飛行隊、宮崎県新田原基地第5航空団の第301飛行隊、茨城県百里基地の第7航空団第302飛行隊の三個飛行隊となっている。第8飛行隊はF-2への機種変更事業を実施中である。第302飛行隊は那覇基地への第204飛行隊配備に伴い百里基地に移転配備された。
また、RF-4E/E改を運用している百里基地偵察航空隊第501飛行隊を偵察型に改修したF-15Jで更新する計画がある。
第2次F-X選定
航空自衛隊では最初の主力機F-86Fの老朽退役が始まることから、1966年 (昭和41年) より後継機選定を開始した。だが、前回のF-Xでの汚職事件を受け、今回の選定作業は極秘裏に行われることとなった。 1967年 (昭和42年) 10月よりの選定で以下の9機種の名が挙げられた。[21]
F-111 :ゼネラル・ダイナミックス社
F-4E :マクドネル・ダグラス社
P-530 (F-18の原型:計画案) :ノースロップ社
F-5 :ノースロップ社
CL-1010-2 (F-104の発展型) :ロッキード社
ジャギュア :イギリス・フランスの共同開発
サーブ37 :SAAB社
ミラージュF1 :ダッソー社
ライトニング :イングリッシュ・エレクトリック社